• 2014/10/01
  • 考え方

可能性として豊かであり、有能な学び手としてのこども

可能性として豊かであり、有能な学び手としてのこども

こどもの姿を見つめるまなざしとして、2つの考え方があります。ひとつは、未来への準備・学校への準備をさせる「準備期としてのこども」観。そしてもうひとつは、こどもが一市民として歓迎され、その権利を尊重され、こども時代にしか育めない大切な力、できない経験があると考える「市民としてのこども」観です。

また、別の視点として、学校や保育所には、結果主義の視点とプロセス主義の視点があります。結果主義とは、「できるようになったこと」を確かめる視点。それに対し、プロセス主義は、こどもが何に夢中になっているか、何に気づき、どのような気持ちで、こどもなりに探究しているかという姿を見つめる視点。こどもの学びの課程を大切にする視点です。

もちろん、文字が書けた、運動が活発になった、歌が上手に歌えたなど、できるようになったことを讃えあうのは、すばらしいことでしょう。ただ、この結果主義の視点は、こどもの能力・才能をいくつかのチェックリストで規定してしまうことにもつながりかねません。とくに乳幼児期においては、もっと伸びやかな、こども本来の育つ力が発揮されるような視点もあるようにも思えます。

「準備期としてのこども」観は「結果主義」と、「市民としてのこども」観は「プロセス主義」と結びつきやすいと、私たちは考えており、「市民としてのこども」観、つまり「プロセス主義」を大切にしています。

こどもが「今どのような芽を自ら伸ばそうとしているか」を、ゆったりとしたまなざしで見つめ、その芽が素直に力強く育まれるには、どのような環境や配慮があるとよいかを見ていく。一人ひとりのこどもを「主人公」として、彼らから生まれてくる育ち(学び)の物語を、まわりの大人が受け止め、守り、ともに編んでいくためのまなざしといってもいいでしょう。

こどものありのままの姿を、まずはあたたかいまなざしで見つめる。そして、みずみずしい可能性、有能性、個性の発揮を確認したなら、それをこどもやまわりの人と喜びあえたらすてきです。

こどもを豊かな個性をもつひとりの市民、人格としてとらえて、関わっていく。それは結果的に、大人にも多くの発見をもたらし、人生観や生活を豊かにする新しい気づきを与えてくれるはずです。そうしたプロセスをみんなで楽しんでいくことで、豊かにつながりあえる社会がつくれるのではないでしょうか。大人とこどもの境界を取り払い、市民として向き合えたときに、より創造的な時間が待っていると私たちは信じています。